余話・言伝えの続き

あーもう今年も終わるって言うのに最後何も書かずに終わっちゃうなぁ…。
そうだ。
言伝えには続きがあるからその話を書こうかな。

鬼隠町とたまや

鬼隠町の歴史はそれなりに長い。だが花街の歴史はその半分もない。
禰宜のいた頃の時代はまだ花街ではなく、茶屋と置屋がそれぞれ一つか二つある程度だった。
当時の置屋の女将は悪人ではなかったが、それでも働く遊女らの待遇は決して良いとは言えなかった。町そのものが小さくそこまで潤っていなかったので、吉原の様な絢爛さとは程遠いほんのちょっとの贅沢を味わう場所に過ぎなかった。
禰宜と太一と輶一郎の騒動は暫く町を騒つかせていたが、それも時の流れと共に皆の記憶の隅へと追いやられて行った。

そして更に少しの月日が流れたある日、この町には不似合いなとても美しい女が現れた。
一度会えば誰でも忘れる事はないであろう程に垢抜けた美しさを備えたその女は、大枚を叩いて町の一角の旧家を買い取った。ただでさえその美しさが人の目を惹いたと言うのに、豪胆な采配は瞬く間に町を大きくどよめかした事は言うまでもない。
買い取られた旧家は町の中でも天下一品に腕の逹つ大工の手にかかり、あっと言う間に数寄屋造り風に手直された、またすぐ近くの飯屋も買い取られて立派な料亭に建て直された。
着々と何かが進められてる中、女は女衒の一冬の人を見る目の長けている事を高く買い、一冬に依頼して条件に見合った人を集めさせていた。依頼を受けた一冬は一冬で女の才を見抜きそれに応えた。
やがてみるみるうちに形が成していく姿に人はそれが置屋だと気付き、その頃になってようやく女の名前が「たま」だったと知れるとその置屋の事を「たまや」と呼ぶ様になった。
たまもその呼び名が気に入ったのかそのまま置屋の看板には「たまや」と言う名称が掲げられていた。

これが「たまや」の始まりである。

「たまや」は当時としては異質だった。
先ずは芸妓や遊女の待遇が他とは大違いだった。
借金の方として勤めた出したのは同じだが、食事や暇はきちんと与えられ、粗暴な客は出入り禁止にされて無理に客を取らせる事もしなかった。
また稼ぎの中から少しずつではあったが借金は確実に返されていた。その為、借金を完済して普通の娘に戻った者もいれば、教養があるからと望まれて嫁に行く者もいた。
その為足抜けする者は少なく、むしろそのまま留まって別の置屋や料亭の女将になる者も居たので、町には置屋や料亭・茶屋が徐々に増えていた。
活気付いた人の心に比呼する様に人の出入りが多くなっていった。
人が増えれば悪くなりがちな治安は奉行所と目明しで守られていたので、揉め事が起きても大きな事件になる事はなかったし、遊女達の安全も保たれていた。

安全に働く事が出来、安心して遊ぶ事が出来る場所。

鬼隠町の噂は瞬く間に周辺にも拡がり、上質の遊び場として賑わう様になった。
かつては貧しかった町が潤いを増し、花街へと形を変えたのである。

不思議な事にたまは幾つもの年を重ねてもさして変わらず美しいままだった。
町人達はその面影とこれまで施してきた弱い者達への抜け目ない温もりに、忘れていた花魁を思い出した。

禰宜である。

人はたまを禰宜の生まれ変わりだと思う様にないりたまに問うてみたが、何時もたまは笑みを浮かべるだけで答えは煙にまいたままだった。
この花街には悪質な置屋や茶屋がなくなり、女を食い物にする様な輩が姿を見せなくなった事から、ますますたまが禰宜だとする噂は信憑性を高め、禰宜が鬼になって輶一郎の悪事を懲らしめた話を思い出した者が、禰宜がたまに扮して再びこの町を守りに来たのだと思う様になった。だがその事は控えめだった禰宜の気持ちを察して誰も口に出す事はなく、暗黙の内の事実となっていた。
その代わり一人々が禰宜の気持ちを風化させまいとしてつけたのが、この町の名前「鬼隠町」なのである。

たまは花街の平穏と秩序を護り続けたが、ある時期から人前に姿を見せる事がなくなった。
平穏も秩序もその意思を受け継いだ者によって護られ続けたが、たまが全く姿を見せなくなってから一回りの年が過ぎた頃、たまの訃報と「娘」と称される女が現れた。

「たまや」は不思議な程に周期があった。
女将はほぼ二十八年ごとにその姿を消していた。そしてその後必ず「娘」が現れて跡を継いだ。
その間に何が起きているのかは誰も窺い知れない。
音樹子は十三代目。
「ほぼ」と言ってるのは人の記憶のみの伝承である為、途中が抜けている所もあるのだ。
とにかく十三番目の後継ぎが音樹子と言う事は確かだ。
音樹子は時代の移り変わりに合わせて新しい文化を多く取り入れつつ、先代達の意思を受け継ぎ花街を強固に護り続けている。

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