大正時代に亡くなった新撰組の二人

夢路から頼まれた記事

永倉 新八 大正4年1月15日 享年75才

新撰組 二番隊組長として新撰組最強の剣士と言われていた。小樽にて虫歯が原因で骨膜炎と敗血症を併発し死去したとされています。墓地は東京都北区滝野川の寿徳寺、北海道小樽市中央墓地と札幌市里塚霊園の三箇所あると記載されています。
生涯剣技への自負は衰えず剣術道場を開き青少年に剣術指導を
行っています。晩年は新撰組関連の史料著述に努めていたと。

斎藤 一 大正4年9月28日 享年71才

新撰組 三番隊組長として新撰組最強三人の一人。明治維新後は警視庁に採用され退職後には東京高等師範学校(現在の筑波大学)の守衛、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛を務めていたとされています。
東京府東京市本郷区真砂町にて胃潰瘍のため死去したとされ、福島県会津若松市の阿弥陀寺に葬られている。

新撰組最強と言われていた二人の人物像と生涯については現在調査中の為、後日改めて記事にしたいと思っています。

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山之内見聞録

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